LOGIN村の北出口から外へと出る。
草原地帯があった。ところどころには岩がある。そこにいる魔物はフェアウルフの一種類。灰色の毛並みをした狼であり鋭い牙を誇っている。大型犬ほどのサイズだ。
狩りをしているプレイヤー数は多く、必死の形相でモンスターと戦っていた。
「俺の、俺の宿代をー!」
「私はまだ朝食も食べていないんだからね!」
「や、やべえやべえ、こいつら強えぞ!」
トウマは顔をしかめた。このゲームのプレイヤーはみんな無職なのだろうか?
分からない。
(そう言えば、俺も朝食を食っていない)
ドンと音がして、頭上に文字が表示された。
――クエスト、フェアウルフの撃破
隣にいるウミがこちらに顔を向ける。その表情はわなわなと震えていた。心配した様子である。
「トウマ、みんなが困っています。助けに行かないと!」
「無駄だ。それよりもフェアウルフを狩るぞ」
「ダメですぅ。情けは人のためならず、ですよ!」
「馬鹿お前、行くな!」
トウマの伸ばした手は空を切った。
少し離れたところにHPが尽きそうな男性プレイヤーがいた。その助太刀にウミが参上する。猫耳の上に赤い剣のマークが灯った、フレイムウェポンを唱えたのだろう。
続けてウミが声を張った。右手をピースにして目元に掲げる。
「スマイルチャージ」
その場にいる全員の顔に笑みが刻まれる。特にバフ効果は無いようだ。
……何だ今のスキルは?
空中にコメントが流れる。
:ウミちゃん行ったー。
:おせっかいである可能性を物ともしない行動にしびれるぅ。
:このクエスト久しぶりに見た。
:クエストは貴重だから、ここは評価Sで頼む。
いつの間にか視聴者数が増えているようだった。暇人である。
本当は独自でフェアウルフを狩りたいところだった。ただウミを放っておくわけにはいかない。トウマは彼女の背中を追った。
ウミのそばでは男性プレイヤーが尻餅をついている。フェアウルフの攻撃を受けすぎたせいで瀕死だった。
「ひ、ひいぃぃ」
「こんにちは! 貴方、下がってください!」
ウミが両手に剣を構えて男性プレイヤーの前に立つ。守るように立ちはだかった。
二頭のフェアウルフが凶暴に吠える。
「「がるぅぅ!」」
「私にかかってきなさい!」
茶色い尻尾をモフモフと振ってウミが剣を振り下ろす。切っ先がフェアウルフの顔面を斬り裂いた。HPバーがちょこんと減少する。
しかしもう一方のフェアウルフが男性プレイヤーを狙っていた。突撃をしかける。そこをウミが身をていして守った。
「キャアッ!」
:ウミちゃん、やばい!
:狼に食べられるよ!
:このクエスト逃したら、次いつ来るか分からんぞ。
:死んだら再挑戦しても評価落ちるよ。
トウマの眉間にしわが寄る。
面倒だな。
首を振る。それから顔を上げた。
「こうなったら、やるか」
しかしである。
このゲームのバトルにトウマはまだ慣れていない。
覚えているスキルはというと。
グラヴィティライン(動きを封じる)。
リダイレクト(攻撃方向を変える)。
フィールドハック(地形利用の最適化)。
ステータス画面を表示させてスキルの説明文をよく読む。
やがて、ウミは防戦一方になった。フェアウルフの攻撃を避けては防御する。
トウマは戦況を慎重に観察していた。
そしてある時、片方のフェアウルフの毛が赤いオーラに包まれた。必殺技をウミにお見舞いしようとしている。
(今だ!)
「リダイレクト」
敵の頭上にchangeの文字が浮かぶ。フェアウルフが攻撃方向を変えた。もう一方のフェアウルフに鋭い牙を突き立てる。
「きゅおぉぉん!」
噛まれたフェアウルフは悲鳴を上げてHPを一気に無くした。
トウマは右手をグーにして掲げる。
上手く行ったようだ。
リダイレクト――敵の攻撃方向を変えるスキルである。
「ご主人様!」
ウミが目を輝かせている。
トウマは引きつった笑みを浮かべて、残ったもう一体に唱えた。
「グラヴィティライン」
青黒いロープが伸びてフェアウルフの足に巻き付く。行動不能に陥れた
「よおおっし、行っくぞー!」
ウミが近づき、敵に何度も剣を振り下ろす。バフスキルのおかげでその攻撃力はわりと高い。フェアウルフのHPはどんどん削れた。
:うおおおおっ、ウミちゃん強い強い!
:ウミちゃん助けに行くの好き。
:助けても意味ないのにやるの草。
:だから初心者さんは貧乏なんだよ。
トウマは試しに空中で杖を振ってみた。すると紫色の魔法弾が放出されてフェアウルフに命中する。これがトウマの通常攻撃のようだ。
攻撃を何度も被弾した敵が「きゅーん」と鳴いて地面に崩れる。
――クエストクリア
トウマ
効率A→[短時間クリア]
技術B
意義C→[救助判断遅れ]
魅せC
【総合評価B】
【+180ヴァル】
ウミ
効率D
技術E→[レベル1では良くやった方]
意義A→[他人救助]
魅せC
【総合評価D】
【+80ヴァル】
これしか稼げないのか。
朝飯代にもならない。
トウマは不服を感じつつウミに近づいた。ウミは自分の評価を見て頬を膨らませている。はっきり二重にはしわが寄っていた。両手の甲を腰に当ててつぶやく。
「助けたのにぃ。また私の評価が低いですぅ」
「それで、いくら稼げた?」
「え?」
「助けは、金になるのか?」
「でも……」
ウミは小さくつぶやく。
「男の人は助かりました」
「見ろ」
トウマが手を伸ばす。
その先に男性プレイヤーはもういなくなっていた。
お礼も言わずに逃げたようである。
「あれ、男性がいませんっ!」
「これが現実だ」
ウミが耳を垂れてしょんぼりとする。目の周りにしわを寄せた。モフモフとした尻尾が力なく揺れる。
(あの男を見捨てて、フェアウルフだけ狩った方が効率は良かったな)
ウミが顔を上げる。明確な意志のこもった瞳。静かに宣言した。
「それでも、見捨てるのは違います」
ウミは視線を合わせてそらさない。
トウマは鼻にしわを寄せる。
「優しさは、余裕のある奴のやることだ」
「おい、ヤバいぞ!」
少し遠くで他プレイヤーの声が上がった。
眉を寄せて、トウマとウミがそちらに顔を向ける。
黒い渦を巻いて、一頭の巨大なウルフが草原の中心に立ち上がっていた。黒い毛並みに獰猛な牙。その瞳は鋭く、不気味な輝きを放っている。
――クエスト、テラーウルフの撃破
トウマの顔が硬く強ばる。
こいつに、効率は通用するのか?
負ければリスボーン。
だけど、デスペナルティがあるだろう。
稼げなければ、
生活費はじり貧だ。
あれから一時間が経過し、女性たちはデスペナルティを終えてログインしていた。 キャルル丸の頭には花かんむりが載せられている。 トウマが音頭を取った。「それじゃあ、キャルル丸の歓迎とギルドバトルの優勝を祝して、乾杯!」「「かんぱーいっ」」「きゃるるぅっ!」 コップをぶつけ合う音があちこちで重なった。 トウマの考えていたことはこれである。 キャルル丸の歓迎会をやったことはまだ無い。だから今日という絶好の日にお祝いをしてあげたかった。 白いテーブルクロスのかけられた丸いテーブルをみんなで囲んで座っていた。キャルル丸だけは立ったまま深い器に入れられたミルクをぺろぺろと飲んでいる。テーブルには蝋燭の灯りがあった。天井には魔導具のシャンデリアがあり、辺りをしっとりと照らしている。他に客はおらず、グラスオースの貸し切り状態だった。ベルフラウがワインをごくごくと一気に飲み干してテーブルにグラスをとんと置いた。頬がほんのりと染まっており、喜びに溢れている。彼女が右手を上げてウェイターに目配せした。やってきたウェイターにアメジスコッチという最高級のお酒を注文する。ウェイターが瓶をすぐに持ってきて、その紫色の液体をグラスに注ぐ。ベルフラウは香りを楽しむようにグラスを回した。それから液体の半分を口に含む。「美味しいわ」と満足そうな声を上げた。 ニキの隣ではキャルル丸が巨大な骨付き肉をかじっていた。花かんむりが華やかである。豪快に焼き上げられた香ばしい肉を牙で引きちぎり、頬を膨らませてむしゃむしゃと咀嚼する。味わっているのかつぶらな瞳が緩んでいた。骨まで食べ出す始末だ。ガリガリと音が響いている。太い尻尾がぶんぶんと揺れていた。花かんむりが嬉しいのか「きゃるるぅっ」と高い声で鳴いていた。 配信ドローンはない。 トウマはみんなから預かった金をすでに返していた。視聴者からの投げ銭の分配も行ってある。だけど、賞品のAランクスキンカード選択券は一つしかなかった。これはどうすればいいだろうか? トウマの隣にいるベルフラウが絡んでくる。「ねえトウマ。あたし、優勝戦は全然活躍できな
トウマの目の前には夜月がいた。 岩壁に囲まれた半円形のフィールドである。土は柔らかく雑草は少ない。生温かい風が吹いていた。びゅうびゅうと風音が鳴っており、二人の前髪がなびいている。夜空では小さな三日月に座っているアルテミスがクスクスッと笑った。二人の勝負を見極めようとしているようだ。フィールドの中心で、二人は睨みあっていた。沈黙が流れていた。 可愛いは正義勢:トウマさん、頑張って! キャルル丸の世話係:団長対決ですね! ゲーム一筋一千年:トウマさんならきっと勝つと思う! 夜月しか勝たん:夜月さん、さあ、やっちゃってください! ユキナ:見に来ました。 シロハ:団長来たの!? メルフィ:ユキナ! 夜月がせせら笑うような声を響かせる。「トウマさん、どうして攻めに参加しなかったのですか? 貴方が来れば、もっとマシな戦法を取れたかもしれないのに」「俺は仲間を信じているからな」 トウマは凜々しい顔つきでつぶやいた。 夜月が眼鏡のふちをくいと上げる。「何か、とっておきの作戦がおありになるのですか?」「あったとしても、バラすと思うか?」「……なるほど。まあ良いでしょう。それでは、蹂躙させていただきます」 夜月が右手にサーベルを構えた。右手に左手を添える。 トウマもブラウンのステッキを掲げた。 息もできないような沈黙。 次の瞬間、夜月が動いた。 走りだして、トウマにサーベルを振りかぶる。「はあっ!」「来い!」 ブラウンのステッキでトウマがサーベルを受け止める。 夜月がニヤリと笑みを浮かべた。二連撃目がトウマの肩を斬り裂く。三発目、四発目も腹にもらってしまった。夜月はトウマの防御をいとも簡単にかいくぐっている。まるで未来が見えているかのような剣さばきだ。眼鏡が怪しげにピカピカと光っている。「雑魚雑魚雑魚、雑魚なんですよ! 貴方は」 トウマは気づいた。バックステップを踏んで距離を取る。「その眼鏡、伊達かと思っていたが、まさか魔導具か?」 夜月は眼鏡のふちをまたくいと上げる。「ご名答! この眼鏡はプレディクトレンズ。相手の筋肉の動きから一秒先の未来を映し出します」「卑怯者だな」「何とでも言ってくださいよぉ。さあ死んでください。トウマさぁん」 可愛いは正義勢:プレディクトレンズなんてあるの? キャルル丸の世話係:チートだな
ニキを乗せたキャルル丸が走っていた。 柔らかな地面の上、土を蹴り飛ばして全速力で後退する。ニキは振り落とされまいと手綱を強くたぐり寄せた。夜空を見上げると、いつの間にかアルテミスのような女神が浮かんでいる。小さな三日月に座ってギルドバトルを眺めていた。両手を頬に当てており、興味津々と瞳を光らせている。優勝戦は凝った演出である。 攻めのメンバーはニキとキャルル丸しかもう残っていない。 だから味方陣地へと帰還して、トウマと一緒に戦うべきだった。 人数ではまだ勝っている。(みんな、よく戦ったさ) 後は男たちが頑張らなければいけない。 やがて味方陣地の半円形のフィールドに出る。 トウマはフィールドの中心で地面にあぐらをかき、目をつむっていた。瞑想でもしているのだろうか? ニキはあきれたように口をぽかんと開いた。(何やってるさ!)「トウマさん!」「きゃるるぅっ」 炎上しろ:おい、グラスオースの団長がやる気ないぞw 夜月しか勝たん:夜月さん、トウマを蹂躙キボンヌw レディミラージュ:夜月とモナが迫ってきているわよ。 シロハ:トウマさん何してんの! メルフィ:今すぐ立って立って! トウマが青い瞳を開いた。「よっと」と言って、地面に手をついて立ち上がる。こちらに顔を向けた。「ニキさん、状況を報告してくれ」 トウマの隣でキャルル丸が足を止める。身体を旋回させて正面を向いた。「トウマさん、残っている敵は夜月とモナだけさ! だけど、俺っちたち以外の味方はみんなやられちまったよ」「そうか」「そうか、じゃないさ。トウマさん、やばいよ!」「狼狽えるな」「う、狼狽えるなって言われても……」「ニキさん、キャルル丸。夜月は俺がやる。モナが来たら引き離してくれ」「わ、分かったさ!」「きゃるるぅ!」 やがて、左の通路から夜月とモ
可愛いは正義勢:ウミちゃん、尻尾モフモフ頑張って! 夜月しか勝たん:夜月さんによる拷問ショーの始まりw 賭け金返して:まだ大丈夫だって! グラスオースの方が人数で勝ってるから! シロハ:どうしてトウマさんは来てくれないの!? メルフィ:動いてトウマさん! 銀色の巨大な月が間近にあった。戦っているプレイヤーたちはまるで月の魔力に操られている人形のようである。岩壁に囲まれた半円形のフィールドであり、柔らかな土の地面だった。晴恋はぶるぶると震えそうになる身体を必死にこらえていた。 これまでに特訓はした。やれることはやった。そしてベルフラウが三人も倒してくれた。だとしたら、自分たちで残りの夜月とテレサを倒すしかない。 フィールドの左側ではニキとモナの激しい撃ち合いが続いている。ニキとキャルル丸の助力は期待できそうにない。 正面ではウミとアイギスが必死に戦っていた。テレサに向けて攻撃を繰り出している。それこそ全力だった。ウミがソウルメモリーを使用しており、身体が炎にくるまれている。 テレサの後ろから、夜月がサーベルを片手に歩いてきていた。(私に何かできることは!) 晴恋が歯を強くかみ合わせる。 手札は二枚あった。 そのうちの一枚を切ることにする。晴恋が唱えた。「ステータスオープン」 中からニンジンを取り出す。テレサに向けて投げつけると共に叫ぶ。「お馬ちゃん、餌をあげるよ!」「ぶるるっ」 テレサはすぐに反応した。前足を地面につけて、転がったニンジンにかじりつく。もしゃもしゃと食べた。すっかりと油断している。「晴恋さん、ナイスですぅ!」「晴恋!」 ウミとアイギスが褒めるように叫んだ。テレサの背後に回り、二人でお尻を攻撃する。アイギスはためらいなく股間を狙っていた。急所への攻撃にはダメージ補正がかかる。「くぷぷ、私だってやるんだから」 晴恋は笑いをこぼすと共に指示棒を振る。水玉が連続で射出されて、テレサの横っ腹に
可愛いは正義勢:ウミちゃん、頑張って! 晴恋頑張れ:優勝決定戦が始まったな。 賭け金返して:グラスオースを20万ヴァル分買ったおw 夜月しか勝たん:夜月さんの変態パフォーマンスがあると聞いて。 炎上しろ:今日は視聴者数が格段に多いな。 キャルル丸の世話係:可愛いキャルル丸に期待。 シロハ:トウマさん、優勝を祈っています! メルフィ:トウマさん、約束通り見に来ました。 レディミラージュ:ベルフラウさんがまたやっつけちゃうんじゃない?w ログネストの寄生虫:優勝戦は魔物が出るからな。 ウミちゃんの水着で鼻血ブー:夜月をどう止めるかだな。 優勝決定戦が開始された。 岩壁に囲まれた半円形のフィールド。味方陣地の奥には青いクリスタルのオブジェがある。石造りの台座の上に設置された青い球体だった。クリスタルにもHPバーがあり、少々の耐久力がありそうだ。柔らかい土の地面の上。正面には地面がそのまま隆起したような丘がある。その左右には通路があった。ベルフラウは両手の甲を腰に当てて顔を硬くしている。気分だけがやけに高揚していた。 すでにパーティは組んである。 ニキがキャルル丸にまたがり、相棒に力強く告げる。「キャルル丸、真っ直ぐ上に飛ぶさ」「キャルルアアアッ!」 ――ルミナスウイング。 光の翼でキャルル丸が浮き上がる。隆起した丘よりも高く上昇した。偵察任務である。 可愛いは正義勢:ニキさんずるいw 賭け金返して:キャルル丸の偵察スキルw 夜月しか勝たん:おい、それは反則だろ! 夜月がニキの視線に気づき、苛立たしげに睨みつけた。やがてルミナスウイングが終わり、キャルル丸が着地する。ニキはトウマに報告した。「トウマさん、敵は動かないさ」「……やはりか」 読み通りというふうにトウマは二度頷く。 一昨日のセレクターvsオンリーレディ戦の録画でも、夜
その夜、ギルドバトルにオンリーレディのメンバーは現われなかった。 トウマたちは不戦勝となり、三回戦へ進むことになる。 ――クエスト昇格 ――ギルドバトルクエスト、優勝する 翌日の午後六時過ぎ。 牡鹿ホテルの前の道路だった。 軒先には鹿の彫刻が施された看板が提げられている。看板が風に揺られてカタンカタンと音を立てていた。一階のレストランからは料理のかぐわしい匂いが夜風に乗って運ばれてくる。すでに魔導具の街灯が点灯しており、辺りをほのかに照らしていた。路地には三毛猫が一匹いて、レストランの裏口前で伏せっている。ふと裏口が開き、黒いコックコートを着た従業員が出てきた。三毛猫が「にゃあ!」と媚びた鳴き声を上げて立ち上がる。従業員の差し出した弁当をガツガツと食べ始めた。従業員はしゃがみ込み、三毛猫の背中を愛おしそうに撫でている。視界の端で眺めていたトウマの心がほっこりと温まった。 石畳の地面の上で、晴恋とウミが武器を構えて対峙していた。ギルドバトル前の最後の特訓である。今日はどうしてか仲間たち以外にもプレイヤー数が多く、二人の周りを遠くから囲んで見物している。上品な服を着たNPCの子供が「てるてる坊主のお姉ちゃん、猫のお姉ちゃん、頑張って」と声援をかけた。晴恋が緊張したように唇を引き結ぶ。ウミのモフモフとした尻尾が嬉しそうにたゆんたゆんと揺れた。 ウミが静かに言い放つ。「晴恋さん、行きますですよ」「来い! ウミちゃん!」 晴恋の顔つきに臆病な色合いはもう無い。栗色の長髪が風に吹かれてさらさらと揺れた。たれ目の目尻が鋭さを帯びている。:ギルドバトル前の最後の特訓だな。:晴恋は強くなったの?:またまたグラスオースを一点買いしてきました!:おい、ギルドバトルはまだ始まってないぞw ニキが力強く応援した。「晴恋、頑張るさ!」「きゃるるぅ!」 ニキの隣にいるキャルル丸が右の前足を掲げる。 ステータス画面からウミが決闘申請を送る。 晴恋が了承をタップした。「行きますっ」 ウミがすぐに走り出す。地面を這うような前傾姿勢だ。 晴恋が指示棒を掲げて唱えた。「雲が出て来ました」 空の月が雲に陰る。ウミの身体が黒いもやに包まれてスピードを落とした。 ウミは立ち止まり、余裕そうに尻尾を振った。尻尾が怪しく揺れている。尻尾で威嚇して相手の動揺を誘
――ヒイラギがノーファン村の領主に任命された その一文は、ログインをしているプレイヤー全員の頭上に表示されたのだった。 ノーファン村のヤマネコ食堂。そこでは小さな宴会が行われていた。 直方体の木造りの室内。木製のテーブルが規則的に並んでいる。古めかしい定食屋といった雰囲気であり、テーブルの上には様々な料理と酒瓶が並んでいる。焼き肉、油淋鶏、鳥の軟骨の串焼き、レバニラ、揚げ豆腐、ウインナー、山盛りフライドポテト、サラダ、他にもたくさん。 壁の掛け時計を見てウミは眉尻を下げた。いま午前八時前。悲しみの吐息をつく。 これから、どうなるのですか? 今頃トウマは、何をしているでしょうか。
ロッジのような一室。木造りの天井と丸太で出来た壁。そこのベッドにユウマは腰掛けていた。 ここがゲームの中らしい。 顔の前にはステータス画面のような半透明の青いボードが浮かんでいる。 システム音声が響いた。 「プレイヤー様。VALORIUMオンラインの世界へようこそ!」 「あ、はい」 「まず、プレイヤー名を決めてください」 「トウマで頼む」 彼の本名は冬野悠馬である。 「トウマ、その名前は使用できます」 「良かった」 「次にゲーム内職業を選んでください」 画面には様々な種類のジョブが並んだ。 そして右上には特別コード入力の文字。そこをタップして、暗記し
ログネストの玄関は広い空間になっている。背の高い天井。タイル敷きの綺麗な床。 しかし、空気は息苦しいほど重かった。 今も、通路からドリンクを汲みに来た利用客がある。ちらりと振り返ると、寝ていないような疲れた顔をしていた。 ふと隣には男性店員に連れられた太り気味の客がやってきた。太り気味の客は男性店員に頭を下げて大声を出す。 「待ってください! あと五時間、五時間プレイできれば、ヴァルを払えそうなんです!」「お客様、すでに退室の時間でございます」 (……ヴァル?) 背中に鳥肌が立つのを感じながらユウマはカウンターに向き直る。 茶色い受付台を挟んで、ユウマの前には女性店員が立って
それは、どこにでもある小さな“シアワセ”だった。 朝。寝息を立てているユウマの肩に、妻が優しく手を置く。 「ユウマ、起きて起きて」「むにゃむにゃ、もっと寝てたい」「駄目。会社に行く時間よ」「ぐぐー、ん、朝?」 瞳を開く。目の前には妻の優しい笑顔があった。ユウマはダブルベッドから上半身を起こし、右手を口元に掲げて大あくびをする。 「ふわあ」「あら、大きなあくびですこと」「朝食は?」「出来ています。着替えて、ダイニングへ来てくださいな」「ああ、分かった」 クスッと笑って妻が部屋を出て行く。スリッパの足音が遠ざかって行った。 ユウマはベッドから出て支度をする。ワイシャ